第41回少年の主張 福島県大会 優良賞

「集団」という落とし穴

伊達市立伊達中学校 3年 佐藤亜月

 太平洋戦争は、今から少し前、私が授業で学んでいたところです。

「ひいばあ、東条さんのこと嫌いだよ。」

期末テストに向けての猛勉強中、東条英機内閣について教科書を見ている時、ふと母が言いました。

「えっ、何で。」

私は、意味が分からず聞き返しました。母の言うひいばあとは、亡くなった私のひいおばあちゃんのことです。では、なぜひいばあが東条さんを嫌っていたのでしょう。

 「東条英機は太平洋戦争を始めた。そして、戦争を推し進め、沖縄戦をも引き起こした人」ひいばあを含め、当時の国民は、彼をこのような人物だと認識していたのかもしれません。ひいばあの旦那さんは、この沖縄で戦死しています。だから、「東条英機が沖縄戦さえしなければ、私のだんな様は死なずに済んだ」ひいばあはそう思っていたのです。「旦那さんは、アメリカ兵に銃で撃たれて死んだ」この話は私も直接聞いたことがあります。すごい時代です。「この人がいなかったら」私でもそう思うかもしれません。結局、「戻ってきたのは髪の毛だけ」そう母は聞いたそうです。

「髪の毛だけ。」

あまりに驚いて、私は強く大きな声で、母の言葉を何度か繰り返してしまいました。

 沖縄戦が終結して五十年。記念の慰霊碑が建てられました。「平和の礎」です。私はそこに行ったことがあります。私の生まれる前ですが、ひいばあもそこへ行ったことがあるそうです。平和の礎には「佐藤栄」という旦那さんの名前が刻まれていました。ひいばあも自分の目でそれを見たかったのだと思います。私が想像するに、ひいばあがそこに行くのはとても大変だったはずです。そこまでしてあの場所に行きたかったのは、戦争で家族を失ったものにとって、平和の礎が、唯一心でまた会える場所だったからだと思います。

 本来、沖縄の海は、全てがリゾート地としての海であり、青い海に青い空、緑の崖、それが沖縄の景色であってほしかったのに、そこに石碑があることは、違和感でした。でも、これが現実であり、戦争の爪跡なのです。

 日本人には、奥深さや素直な心があり、考える力もあって、判断を間違うようには思えません。それなのに、戦争がこれだけ拡大してしまったのは、誰もが国の意向に沿った行動を取り、多くの人が命を失っているのに、誰も「戦争はもうやめよう」と言えなかったことにあると思います。集団という一致団結は、確かに大切なことなのですが、団結が逆に悪い方向へ進めば、集団全体が悪くなるということが起こってしまうのです。戦争は、悪い方向へと進んでいるのに、誰も気づかない、誰も指摘しない、できないという、集団の落とし穴の大きな一つの例だと思うのです。

 現代には、集団の落とし穴が溢れているような気がします。例えば、集団でのいじめです。集団の一員になると、自分自身が何をしているのかが分からなくなってしまう、良いことなのか悪いことなのかも、考えられなくなってしまうのです。集団のいじめは、辛い心を生み、人の命を奪うこともあると、私たちはもう分かっているはずです。

 人は間違います。何度だって失敗します。だけどそれでも何とかしようとするのは、ただ存在しているだけでなく、一人の意志ある人間として、生きようとするからです。

 出来事はすぐ過去になります。今という貴重な時間を、間違った集団行動に費やすべきではありません。今やっていることが「私」として自信をもてる自分なのか、考えて考えて考えて、行動することが大切です。誰もが自分なりの意見や考えを持ち、それをさらに自分の中から外に発信できる行動力を、私は望みます。