第40回少年の主張 福島県大会 優良賞
誰かのために働くには
猪苗代町立東中学校 3年 本多 悠
「働く」ということ。「誰かの役に立つ仕事」をするには何が必要なのだろうか。学校の授業などで職業について考える機会があるたび、私はいつも疑問に思っていました。進路について具体的に考えるようになった15歳。その思いはなお強くなりました。
約300万人。この数字を聞いて皆さんは何を思い浮かべますか。どこかの県の人口ですか。または今はやりのインスタグラムのフォロワー数でしょうか。実はこの数字は、農業就業者人口の推移をさしています。平成元年には約500万人近くいた農業就業者人口は、昨年の平成29年には、約180万人にまで減少してしまいました。約30年で約300万人。特に若い世代の農業離れは深刻で、時折ニュースなどにも取り上げられます。農業に対する世間一般のイメージとしては、よく「3K」などと言われ「きつい・きたない・きけん」などのよくないイメージが付きまといます。まして福島県においては、原発による放射線や風評被害などが加わってしまい、農業を志す若者はごくわずかかもしれません。
私は将来農業に関わる仕事に就きたいと思っています。私の家は代々農家で、農作業を手伝うなど、幼い時から農業に触れてきました。しかし、すぐにそうと決めていたわけではありません。そのきっかけを作ってくれたのは、営農指導員として働く母の姿でした。
営農指導員とは、農業経営の技術や経営指導、新しい作物や技術の導入を主な活動内容としながらも、環境保全型農業の推進、安全な農畜作物の生産指導を行う仕事です。実際に働いて母の様子を見たことがありましたが、ある農家のおじいさん、おばあさんに栽培する農作物に合った肥料の選定や害虫を駆除する方法について指導していました。おじいさん、おばあさんもきっと農業に関する経験はたくさんあったはずです。ですが、母は確かな知識と技術で、その経験を支えることでおじいさんたちのよりよい農作業に貢献していたのです。私はかつて農作業の手伝いでトマトやアスパラなどの野菜作りを行ったことはありました。農作業の大変さや達成感も肌で感じてきました。しかし、母の働く姿を見たとき、こういった農業との関わり方もあるのかととても驚き、母のような仕事に強く興味を持ち始めました。
そんな母に私自身、助けられたことがありました。学校の授業でミニトマトを栽培していましたが、なぜか私の苗だけ実がなりませんでした。友人の苗には青い実がなりはじめしだいに大きくなっていきますが、私のミニトマトは一向に茎と葉だけです。農作業の手伝いで野菜づくりの経験があったので、多少の自負があっただけにショックでした。結局実がならないままミニトマトの苗を家に持ち帰りました。そして、母になぜ実がならないのか聞くと、水やりの仕方、栽培に適した温度、プランター内の土についてなど様々な原因を教えてくれました。母のアドバイス通りに育ててみると数日後、苗には実がなりはじめました。そのとき私は自分を恥じました。過去の農作業からの経験だけでミニトマトの育て方を知った気になり、誠実にその栽培方法について学ぼうとする姿勢がなかったのです。その結果、危うくミニトマトは実をつけることなく枯れてしまうところでした。
私はふと「働く」ことについて考えを巡らせます。将来の職業を考えるとき人は「誰かの役に立つ仕事がしたい」と言います。私も同じで、「誰かの役に立つ仕事がしたい」と考え、自分の「やりたい仕事」を選びます。しかし、「したい」「やりたい」という気持ちは「誰かの役に立つ仕事」となりえるのでしょうか。困っている人を助けられるのでしょうか。大切なのはその強い気持ちと同じ熱量で、誠実に学び続け、確かな知識と技術を身につけることではないか。誰かのために懸命に働く母の姿は、私にそう教え諭してくれていました。
美しい光、風、水、大地。猪苗代町は、磐梯山と猪苗代湖に囲まれた自然豊かな町です。私は将来、農業の技術を指導したり、品種改良のような試験研究を行ったりする「農業改良普及員」という仕事に就き、猪苗代町で農業に関わっていこうと考えています。
農業改良普及員として、これからの農業を支えていきたい。農業の新たな魅力を引き出し、農業を目指す人を増やしていきたい。そして、真の復興を目指し、新しく変わろうとする福島の支えとなる新しい農業をつくりたい。少し壮大すぎる夢かもしれませんが、決して不可能ではないと思います。学ぶことに誠実に向き合い、しっかりとした知識と技術の支えがあるのならば。
そのために、私は今目の前にある勉強や部活動に真剣に向き合おうと思います。