第31回少年の主張 福島県大会 優良賞
ことばの力
平田村立小平中学校 三年 阿部あずみ
「死ねばいいのに。」
つい、言ってしまった一言で、どれだけの人を傷つけただろう。
私は昔から、気に入らないことがあると、すぐに暴言を吐く癖があった。自分の思うように事が進まないと、苛立ってしまい、すぐに暴言を吐く。そんな毎日のくり返し。いつも暴言を聞かされていた友人たちも、嫌気がさしていたに違いない。しかし、そんな癖も元からあった訳ではなく、日々繰り返される日常生活の中で身についた、一種の自己防衛にすぎなかった。
小六の秋、私は親友と、人生初の大ゲンカをした。互いに、文句を言い合う口ゲンカがしだいにヒートアップしていき、ついには泣き叫ぶまでになった。
「あずみはいつも、何考えてるのか分からないよ。怖いからもう一緒にいたくない。自分の気持ちをちゃんと言葉にしてよ。」
衝撃だった。ずっと一緒にいた親友の本音を、こんな時に聞くことになるなんて。
そうか、私はそんな風に思われていたのか・・・。落胆した。それと同時に、今頃になって本音を言ってきた親友に強い憤りさえ感じた。
「もっと早く言ってくれれば、よかったのに。そんな事さえ言い出せない程、私は怖い存在であったのだろうか・・・?」
頭の中にはハテナばかりが浮かぶ。
「何を考えているかわからない。」
確かに、その当時は現在に比べたら無口な方だったと思う。しかしそれは、ただ単に「言葉を発することが面倒」という理由が始まりだった。
今、当時のことを思い返してみると、全ての始まり、非は私にあったのではないだろうか。自分の意見を言ってもどうせ皆聞いてくれないだろう。あとになって、裏で悪口を言われるに決まっている。そうやって私はいつも勝手な憶測から物事を言っていた。それがいけなかったのだ、と中三になった今だから考えられる。しかし、幼き日の私には、そこまで考える余裕などなく、親友に言われた言葉に傷心し、ただただ身を守る術をさがすしかできなかった。
そして、幼き私は「暴言」という最大の武器の存在に気付き、手に入れてしまったのだ。
近年、「いじめ」などが原因とされる小中高生の自殺が社会問題化しているが、それは「ことば」の力によるものが多いのではないだろうか。「死ね」「うざい」「消えろ」といった、えげつない言葉たちは、言う側には何も感じさせないが、言われる側には精神的ダメージを、これでもかというほどに与えてしまうものだ。そして、被害者の心は闇に染まり、行き場を失う。そんなくり返しが被害者を追いつめ、「死」を選択させてしまうのではないだろうか。
そう考えると、私が今まで吐いてきた、えげつない言葉たちはどれだけの人を傷つけ、どれだけの人に闇を与えてしまったのだろう。改めて考えてみると、自分が今までしてきたことの重大さに初めて気付かされた気がした。
「今どき、死ねって言葉使わない人なんていないよ。」
確かにそうかもしれない。これだけ「死ぬ」「死ね」といった言葉が日常生活で当たり前のように使われていて、何も感じない人がいるのだから。しかし、言葉が軽くなったからと言って、人の死、人の命まで軽く扱ってしまっていいのだろうか。世界のどこかでは多くの人々を苦しめ、憎まれる存在の人がいるかもしれない。苦しめられている人達にとっては、そんな人は「死ねばいい」存在なのかもしれない。それでも、一人間に、他人の死を決める権利がないように、他人の死を望むことも許されないことだと思う。その禁忌を犯した時、人は清く尊い存在ではいられなくなってしまうのではないだろうか。
私達は、言葉を軽く見過ぎている。人と人が互いに協力し合って、生きていくにはもっと言葉を、死を重く感じて付き合っていかなければいけないと思う。そのことを頭において、これからを生きていきたい。









