第31回少年の主張 福島県大会 優良賞
感 謝
東北中学校 三年 荒井 芽衣
あきらめないで良かった。
バレーボールも駅伝も、あきらめないで良かった。部活動を終えた今、本当に心からそう思う。バレーボールで、一度スタメンをはずされても、駅伝に自信をなくしかけても、最後まで頑張れた。それは、私を支えてくれた全ての人のおかげだと思う。
昨年九月、東西白河駅伝大会で、私は最終区の五区を走り、区間二位となった。それから何日かたったある日、先生から、自分がふくしま駅伝の候補選手に選ばれたことを知らされた。私にとってふくしま駅伝は、遠い夢の舞台であり、それに出場できることなど考えたこともなかった。だから、うれしくて舞い上がっていた。しかし、月・水・金・土と週四日の練習は、想像以上に辛く、周りは速い人ばかりだった。私以外のみんなが自信があるように見えた。しかも駅伝の練習と部活動の時間が重なってしまうため、毎回部活動を途中で抜け出さなければならなかった。それが何よりもいやだった。ちょうどその頃、部活動では自分が思っているようなプレーができず、顧問の先生にはたくさん叱られ、練習試合で泣くこともしばしばあった。そして、いつしか部活動に行く足取りが重くなっていた。私が駅伝の練習に行っている間に、みんなはどんどんうまくなっていて、私だけが置いていかれそうな気がしたのだ。それに、顧問の先生は部活動を途中で抜け出すことをどう思っているのか。とても不安だった。
そんなことばかり考えていたある日の練習試合から、私はスタメンから外されるようになってしまったのだ。私の不安は的中した。スタメンを外されたのは、部活動を途中で抜けて駅伝の練習に行っているからだ。どうせ、ふくしま駅伝の選手になんてなれない。練習に来ている女子は、私だけが二年生。先輩達はみんな速いし、練習に行っても意味がないとさえ考えるようになった。バレーボールと駅伝、私はどちらを頑張ればいいのか、結論を出せないまま、毎日もがき苦しんでいた。精神的に追い込まれていた私は、母に自分の思いをぶつけてみた。すると、母は、「そんなに悩んでいるのなら、明日、駅伝の先生に相談してみたら?また来年もあるんだし、気にしないでがんばりな。」 と、言ってくれたのだ。その優しい言葉で、今まで私を縛っていたものが、一気にほどけていくような感じがして、気持ちがすごく楽になった。
さっそく次の日、私は駅伝の先生に、バレーボールと駅伝の両方を続けていく自信がないことを、正直に伝えた。すると先生から、意外な言葉が返ってきた。
「先生は、駅伝を辞めたからって、バレーボールがうまくなるとは思わない。始めにそれだけの覚悟があるか確認したはずだよ。」先生の言う通りだった。それでも頑張ると自分で決めたはずなのに…私は悔しくて、情けなくて涙が止まらなかった。でも、その日から私は変わった。少し休みがちだった駅伝の練習は、ほとんど休まなくなった。バレーボールも短い時間を大切にして、人一倍練習した。
ふくしま駅伝最終選考の日。懸命に走った結果は、二位。いつしか二十秒も差をつけられていた先輩の前を走っていた。そして、白河市チームの代表選手に選ばれたのだ。
ふくしま駅伝当日は雨だったけれど、思いっきり走り抜くことができた。
翌日、部活の顧問の先生から「お疲れさま。頑張ったな。」の一言をいただいた。スタメンを外されたことを駅伝のせいだと思いこんでいた自分が恥ずかしかった。
私はたくさんの人に支えられている。自分で決めたころは最後まで貫くことの大切さを教えてくれた駅伝の先生。私のことをちゃんと理解してくれていた部活動の顧問の先生。いつも笑顔で励ましてくれた仲間達。そして、いつも近くで見守ってくれている私の家族。人は絶対に一人で生きているのではないのだ。こうやって、たくさんの人達に支えられて生きている。だから、頑張れた。あきらめないで良かった。そして、応援してくれた全ての人にありがとう。









