第31回少年の主張 福島県大会 優秀賞
当たり前
福島県二本松市立安達中学校三年 渡辺 のぞみ
「ばぁちゃんが倒れた。」私が部活から帰ってくると、そこにあったのは父の走り書きのメモだった。「どうして…ばぁちゃんが?」動き始めた時間と共に疑問の波が押しよせる。
息もできなくて、ただ苦しかった。
「ウソだ。ウソだっウソだ。」
私の叫び声が乾いた部屋に響き渡る。私の心は、暗闇に落ちていくばかりだった。人の死について、深く考えていなかった。家族がいなくなるなんて、きっとまだ先だと思っていた。
「死なないよね?」誰もいない空間に、そっと問いかけた。あの時私は、どんな答えがほしかったのだろう。
そして、何時間か過ぎて電話が鳴った。
「大丈夫。手術は成功したよ。」その言葉に、私は受話機を握りしめて泣いた。受話機から聞こえる父の声が暖かくて、懐しかった。
それから母は毎日病院にいき、私も休みの日は一緒に病院にいった。眠っているばぁちゃんの姿を見るたびに私は実感した。ばぁちゃんは、こんなにも小さかったのかと。大人として自分よりも大きな存在として甘えながらも寄りかかっていたけれど。今になって分かった、私はばぁちゃんが大好きだ。
ばぁちゃんの「のぞみ」と呼ぶ声が大好きだ。ばぁちゃんの土が染みついた手が大好きだ。ばぁちゃんのしわくちゃの笑顔が大好きだ。すべての当たりまえのことが、すべて愛しい。
十四年もずっとそばにいて、なんで気づかなかったのか。幼い頃から私を愛してくれたばぁちゃんが、どんなに大切だったかと。そんなばぁちゃんを私は大切にし、一つの生命として、考えられていただろうか。
今の社会では、命が軽んじられている気がする。毎日流れるニュースは、殺人事件などで人が亡くなる、そんなものばかりだ。
ある日、「老人の介護疲れにより、一家心中。」というニュースを母と見た。
「うちは、そんなことないよね。」
私は母に問いかけた。すると母は、辛そうに語り始めた。ばぁちゃんが病院に運ばれた時、担当の医師に言われたそうだ。「助けますか。どうしますか。」
助かる命を目の前にして、どうしてそんな事が言えるのだろう。私は、ショックだった。
しかし、後遺症が残り、家族が大変な思いをするかもしれないという意図だと理解すると、複雑な思いを消し去れなかった。
死ぬ事は、辛い事や悲しい事から逃れるための手段になってきている気がする。テレビドラマやゲームの中では、当たり前のように人が死んでいく。私はそれを自然に受けとめていた。でも、それは、当たり前のことではない。
ばぁちゃんの命が失われると思った時、この命は、失いたくないものだとわかった。人の死は、私達が日常的に受け入れてしまえる軽い内容ではない。自分にとって大切なものほど、実は、当たり前のようにそばにあり、とても愛しいと感じているはずだ。
私は、何よりも、だれの命も平等に思う心を、失わないようにしたい。
そして、そうした人生の中で自分を最大限に生かす方法を見つけるつもりだ。
大切なものを当たり前にしないために。









